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マイストーリー

Story vol.6

「誰も悪くない。こうすればよかった、なんてことはないんだよ」その言葉が私を前へ向かせてくれた。

順調な妊娠生活を送っていた遠藤さん。突如、妊娠6ヵ月より切迫早産で自宅安静になります。その後、37週0日で長男の諒柊(あさひ)くんを出産。正期産でしたが、産声がなく、蘇生処置が行われ大きな病院へ搬送されることに。診断は、お産のストレスによる新生児仮死状態。諒柊くんは*NICUに1週間、*GCUに2週間入院します。産後すぐに赤ちゃんと離ればなれになってしまった遠藤さんが母乳育児を続けることができた理由や出産と諒柊くんの入院生活を通して感じたことをお聞きしました。
<プロフィール>

遠藤泉里(みさと)さん
2015年1月6日に諒柊(あさひ)くんを37週0日で出産。諒柊くんの入院中から*スイング・マキシを使用している。産後約2ヵ月で職場復帰し、現在は会社の医務室でさく乳。さく乳した母乳は諒柊くんのお迎え時に保育園に届けている。


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ー妊娠期のことをお聞かせください。

 ずっと子どもが欲しくて欲しくて、夫婦でハワイの有名な子授けのパワースポットに行ったんですね。帰国してすぐ、妊娠がわかったんです。嬉しかったですね。幸いつわりはなく、戌の日も順調に迎え、何の問題もなく妊娠期を過ごしていました。
 「出産前にふたりでもう一度ハワイへ行きたいね」と夫と話していて、産院の先生の許可をもらいに受診したところ、「切迫です」と言われてしまったんです。妊娠20週で子宮経管の長さが20ミリになっていて、旅行どころか仕事も休みなさいというお話でした。ちょうど妊娠6ヵ月の頃でしたが、そこから自宅安静となり、そのまま産休に入ってしまいました。

ー諒柊くん出産の日のことをお聞かせください。

 36週6日目の、ちょうど2015年の仕事初めの日のことでした。お昼に破水したのでタクシーを呼んで産院に行き、そのまま入院。日付が変わった1月6日の2時頃から本陣痛がつき始めました。お産は順調に進み、「出てきた!」と思ったのですが、そこから産声があがらなくて。おそらく1分にも満たなかったと思うのですが、産声を待つ時間がとても長く感じました。そこからは先生や看護師さんが蘇生してくれて、幸い産声はあがったんですけれど、念のため大きい病院で診てもらうことになり、諒柊だけ救急車で転院しました。一瞬だけ、救急車に乗る前の諒柊を5秒くらい抱っこさせてもらいましたが、カンガルーケアもできなくて...。他の病室からは赤ちゃんの泣き声が聞こえてくるし、お世話している光景も見るのですが、私はひとりでホテルに滞在しているような感じでした。お祝い膳をいただいても赤ちゃんはそばにいない。痛みだけが残って、何だか母親になった実感があまり湧かなかったですね。

ー搬送後の諒柊くんの状態はどうでしたか。

 救急車には夫が同乗し、病院に着くと検査はしたのですが、検査結果は1週間後。その間は心配で落ち着かなかったですね。出産の翌日に諒柊が搬送された病院へ行こうとしたら病院から電話が掛かって来て、痙攣を起こしたので挿管したと言われたときには気が気ではありませんでした。産後の痛みが残る中、車にドーナツクッションを敷いて急いで諒柊のところへ向かいました。NICUで搬送後の諒柊と初めて面会したときは、あまりにもたくさんの管につながれていて驚き、動揺しました。

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ーさく乳器はいつ頃から使い始めましたか。

 産後すぐに吸われないと出ないとのことで、助産師さんから「さく乳器はありますか?」と聞かれました。妊娠中にスイング・マキシをいただいていたので、出なくてもいいから取りあえずやってみようと、出産の翌日からスイング・マキシで刺激しました。通常は母乳が出やすくなるように乳首マッサージを妊娠中にされる方が多いと思うのですが、私は切迫早産だったので、刺激してはいけなかったんですね。まだ乳首が伸びて柔らかくなっていない状態だったので、最初は9段階のうち、一番弱い圧を選んでさく乳していました。
 初めはさく乳器で刺激してもにじむ程度しか出ないので、乳首からシリンジで直接採取してもらっていました。それを試験管みたいなものに入れるのですが、分泌量が少なすぎて、母乳が底にたどり着く頃には何もなくなってしまうということもありました。それでも根気強くやりましょうと助産師さんにサポートしてもらい夜中にも採取し、まとめて諒柊の病院へ持って行きました。
  Endo_2.jpg 0515_44.jpg 産後2日後くらいまでは点滴のみで、その後母乳を綿棒につけて、諒柊の口の中でくるくるまわす(口腔内母乳塗布)ということをしていましたね。産声があがらなかったのはお産のストレスによる新生児仮死状態で生まれてきたからだったわけですが、その影響で低酸素による脳のダメージがあり、薬の血中濃度もなかなか下がらず、最初は力が入らなかったようです。まだ直接授乳や哺乳瓶で飲むことができなかったので、口腔内母乳塗布の次の段階で経管栄養に移行し、鼻から管を入れて母乳をあげていました。母乳は3時間おきにスイング・マキシでさく乳し、冷凍して諒柊の入院している病院に届けていました。

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ー直接授乳ができるようになったのはいつ頃ですか。

 諒柊が退院する1週間くらい前から直接授乳の練習が始まったので、生後2週間のときですね。初めて直接授乳をしたときには、「いきなりでもできるんだ!」と驚きました。人間の生きる力や本能ってすごいなあと思った瞬間でした。
 面会のときに直接授乳の練習をしていたのですが、最初は十分な量を飲めなかったり、途中で眠ってしまったりすることが多かったですね。このため、直接授乳の後、すぐにスイング・マキシでさく乳した母乳を時間を置いて哺乳瓶であげるなど、色々と試しました。諒柊が吸えなかった母乳をスイング・マキシでしっかりしぼり取ることで、母乳の分泌量が減らずにすみました。
 生後3週間で諒柊が退院してからは、直接授乳の回数が一気に増えたことで、最初の1週間は乳首が痛くて仕方ありませんでした。やはりまだ乳首がかたく、伸びないことによる痛みでした。最初パクッとくわえさせるときも、歯を食いしばりながらしていましたね。そこで1日のうち1回はスイング・マキシを使って乳首を少し休ませながら母乳育児を続けていました。諒柊の入院中はミルクも足していましたが、退院して約2ヵ月後の3月終わり頃にはほぼ完全母乳に近い状態になりました。

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ーちょうどその頃、職場復帰されたんですね。

 はい。2015年の4月1日から諒柊を保育園に預け、復帰しました。ようやく授乳のペースがつかめ、諒柊もおっぱいからしっかり飲み取れるようになった時期での職場復帰でした。

ー職場復帰後の諒柊くんの栄養はどうされているんですか。

 日中保育園に預けているときは粉ミルクを、夕方帰ってきて朝出かけるまでは母乳をあげていました。会社では、トイレで手しぼりして捨てていました。
 それが、最近になって会社の医務室を使えることになったんです! 以前、SNSにメデラの授乳室「マザーズルーム」の記事が上がっているのを見て、「私はいつもトイレに引きこもってしぼって捨てての日々です」という投稿をしたんですね。その投稿をたまたま会社の産業保健の方が見ていて、「医務室でよければお使いください」とメッセージをくださったんです。それで、少し前から医務室を使ってスイング・マキシでさく乳できるようになりました。
 手でしぼるよりも5分短くて、取れた量は2倍。手しぼりとの違いを実感しました。手も疲れないし、衛生的にも安心なので捨てる必要がなくなったことも嬉しいです。さく乳した母乳は母乳パックに入れて目隠しをし、会社の冷凍庫で保存しています。帰りにそのまま保育園に持って行き、翌日分として使ってもらっています。 

ーメデラの調査では、職場復帰をした母乳育児中のママの約6割がトイレでさく乳という結果が明らかになっていますが、状況が改善されて本当によかったですね。

 はい。会社のトイレの数が少ないので、ずっと使ってしまっていることやお昼休みとは別に席をはずすことにも申し訳なさを感じていたので、気持ちが軽くなりました。それだけで母乳の分泌量も変わってきそうです。
 産業保健の方も、さく乳室の要望が出ていることを会社の人事にも伝えてくれています。来年会社が移転するので、そのタイミングで実現したらいいなあと思っています。

ー職場復帰後も母乳育児を続けたいという気持ちを持つようになったきっかけは何でしたか。

 諒柊が搬送された病院の新生児科の先生に、職場復帰後はどれくらいミルクを足したらよいか相談したんですね。すると先生が「足すというよりも、やっぱり母乳だよ!」とおっしゃったんです。風邪をひきにくい、中耳炎になりにくい...。母乳には色々なメリットがあることを教えてくださったことがきっかけでしたね。
 平日離れて過ごしている分、授乳はぴったりと密着して一緒に触れ合える貴重な時間になっています。諒柊が目をつぶって安心して飲んでいる姿を見ていると、母乳育児を続けていてよかったなあと思います。今のライフスタイルでは完全母乳で育てることはなかなか難しいのですが、平日の朝晩と休日はなるべく母乳でやっていきたいと思っています。

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ー諒柊くんの緊急搬送から始まった出産、予期せぬ母子分離と入院生活。今振り返ってみて、どんなお気持ちですか。

 妊娠期から切迫でしたし、生まれてすぐに緊急搬送されて大変なほうだったのかもしれないのですが、お産は楽しかったです。諒柊の頭が出てくるところもしっかりと見ることができて、とても満足いくお産でした。出産した産院は、私が生まれた産院でもありました。先生をはじめ、助産師さんや看護師さんもみな温かかったです。先生は、諒柊が入院しているNICUにお見舞いに来てくださったり、1ヵ月検診で産院に行ったときもみなさん口々に「待ってたよー」と言ってくださったり。この産院で生めて本当によかったと思いました。
 諒柊の入院は確かに大変でしたが、あの時期があったから、今元気に動いていたり、声を出していたり、笑っていたりするという当たり前のことが、それだけで喜びです。おっぱいを飲むことも、私たちにとっては嬉しい一大事。あんなにグッタリとして、手も上がらなかったような子がこんなに成長して、こんなこともできるようになって...と、小さな変化一つひとつが、すべて幸せに感じます。

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ー泉里さんの前向きな姿勢は、多くのお母さま、お父さまに希望を与えると思います。

 「自分のいきみ方がよくなくて、こういうことになってしまったのでしょうか」と諒柊が入院していた新生児科の先生に聞いたことがありました。先生は、「誰も悪くないんだよ」と言葉を掛けてくださいました。そして、「ああすればよかった、こうすればよかったっていうことはないんだよ」と励ましてくださいました。その言葉で、だいぶ楽になりましたね。
 出産も子育ても、どれだけ自分自身の気持ちを前向きに持っていけるかどうかということが大切だと思っています。諒柊に関しても、脳のダメージによる後遺症の可能性がゼロとはいえませんが、不確定な未来を心配しすぎるのではなく、生まれたときはとても危険な状態だったにもかかわらず、順調に発育してくれている"今"に焦点を当てて生活していきたいと思っています。

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GCU...回復治療室。NICU(新生児治療室)で治療を受け、状態が安定してきた新生児が継続してケアを受ける場所
スイング・マキシ...スイング・マキシ電動さく乳器。家庭用