medela

HOME マイストーリー 次女がつないでくれた息子の命。 その奇跡が家族の絆をさらに深めてくれました。

マイストーリー

Story vol.2

次女がつないでくれた息子の命。 その奇跡が家族の絆をさらに深めてくれました。

早期胎盤剥離による突然の出血でスタートした櫻田さんの出産。第二子を死産で亡くされていたこともあり、当時の不安感と恐怖心は並々ならぬものだったといいます。この経験が他のお母さんたちにとって少しでも役に立てばと、今回のインタビューに応じてくださいました。
<プロフィール>
櫻田智子さん
2014年9月に長男の悠馬くんを33週2日で緊急帝王切開手術にて2283gで出産。悠馬くんがNICU入院中の26日間、シンフォニーとスイングを使用。育児休暇取得中(2015年 1月現在)のふたりのお子さんのママ。

photo_9.jpg

ー悠馬くんを出産された日のことをお聞かせください。

 ちょうど午前中に定期検診があった日で運良く実家に泊まることにしていました。検診では異常がなかったのですが夕方から体がだるく、仕事中の夫に「もしかしたら後で病院へ行くかもしれない」と連絡していました。夜9時頃、上の娘を寝かしつけて起き上がったところで脚に違和感を覚え下を向くと、下半身の服が血に染まり、ぽたぽたと床に落ちていました。
 驚きと不安の中で実母を呼び、救急車を呼んでもらいました。パニックでした。救急車には父が付き添ってくれ、いつも通っている市民病院を受診。胎盤が剥がれかけているのですぐに手術をしたほうがいいという診断でして、そこからは駆けつけた主人が同意書を書き、あっという間に手術の準備が進んでいきました。先生方は「急ぎましょう」と、かなり緊迫した様子でした。

ーさぞかしご不安だったことと思います。

 はい。不安と恐怖でいっぱいでした。そのとき私の心に浮かんだのが、妊娠41週に死産で出産したふたりめの娘のことです。妊娠20週のときに無脳症と診断され頭蓋骨の成長が見られないため外の世界では生きられないと言われてしまったんですね。中絶するか生むか、判断の猶予はわずか数日でした。どうしても中絶する決断ができず、41週で陣痛がきました。娘は出産の1時間前におなかのなかで亡くなりました。出産のストレスに耐えられなかったのだと思います。それでも生まれてきてくれた娘はかわいく、看護師さんたちも病室に来てくれて、「生まれたんだー!」と一緒に喜んでくれたのが嬉しかったです。
 亡くなった娘には「いい子がいたら紹介してね」とお願いしておきました。そしてすぐに妊娠したのが悠馬だったんです。何か母体に悪いことをしてしまったかな、なぜだるいと感じたときにすぐに病院に行かなかったんだろう...と、後悔と不安で押しつぶされそうでした。

ー33週というと、自発呼吸ができるぎりぎりのタイミングですね。

 メスを入れて3分で悠馬が出てきて、その瞬間産声を聞けました。「あー、よかった。生きてる」という思いと、自発呼吸ができているんだな、という思いとで、心底ホッとしました。その後悠馬は待機していた小児科医の処置を受け、顔を見せてもらうとすぐにNICUに運ばれて保育器の中に入りました。私は産婦人科病棟へ。朝まで離ればなれだったので、「どうしているかなあ」と常に悠馬のことを考えていましたね。そんな私の元へ深夜に助産師さんが悠馬の写真を届けてくれ感動しました。悠馬の様子が気になるのと、出産後の興奮状態ということもあり、その日は一睡もできませんでした。

photo_10.jpg photo_11.jpg

ー悠馬くんの栄養はどのようにされていましたか。

 母乳はすぐには出ませんでしたが手でマッサージしたり、助産師さんに「出るまでは*シンフォニーでやってみよう」と薦められて*シンフォニーで刺激を与えたりしていました。2日後くらいに初乳が出て、それを綿棒で取ってNICUまで届けて口に含ませました。2,3日は綿棒の母乳を含ませていましたね。その後シンフォニーで5ml取れるとチューブから注入しました。毎日少しずつシンフォニーを使ってさく乳できる量が増えるのが励みになりました。悠馬が隣にいないので、入院中は目覚ましを掛けて1日8回から10回さく乳していました。
 早期胎盤剥離は母体への危険も大きく、亡くなる方もいるといわれる中、私の術後は順調で、帝王切開にもかかわらず出産して5日後、悠馬より一足先に退院しました。退院後は購入した*スイングでさく乳した母乳を毎日病院に届けていました。さく乳は1日7、8回。幸いにも母乳の量は順調に増えていきました。
 私が退院した2日後には直接授乳を始めました。面会時には直接飲ませ、日中は看護師さんにさく母乳をあげてもらっていました。

photo_12.jpg

ーさく乳する上で苦労したことはありましたか。

 病院のように規則正しく決まった時間にさく乳するのが難しかったです。特に夜中のさく乳は上の娘と一緒に寝てしまうこともあり、なかなか大変でした。

ー悠馬くん退院後の授乳はどうされていましたか。

 37週になったところで退院したのですが、すぐに直接授乳に切り替えました。最初の頃は悠馬が寝てしまうのと胸が張るのが同じタイミングになってしまうことがあり、そういうときにはスイングでさく乳し、あとでさく母乳をあげることがありました。上の娘を母乳だけで育てたので、できれば悠馬も母乳で育てたいと思っていました。幸い合併症などもなく、よく飲んでくれて母乳の出も早いうちに安定したので良かったです。

photo_13.jpg

ー緊急帝王切開でのご出産から退院までの時期に心の支えになったことはどんなことでしたか。

 NICUに入院していた26日間、看護師さんがその日の悠馬の様子を細かくノートに書いてくださったんです。写真付きでかわいくデコレーションされていて。毎日読むのが本当に楽しみでした。

photo_14.jpg

 実は悠馬が入院中に父が心筋梗塞で倒れてしまい、同じ病院に入院したんです。しかも父が寝ていたベッドは偶然にも悠馬のベッドの真上。さらに父のベッドの場所が代わるたびに悠馬のベッドも父と同じ場所に移動になるんです。いつもぴったり後について、真上にいるおじいちゃんにパワーを送ってくれているようでした。父の容態が心配だったときも悠馬の体重が順調に増え、すくすく育ってくれていたことがありがたかったですね。
 父が入院していることを知ったNICUの看護師さんたちが、「おじいちゃん、がんばって!」と書かれた悠馬の写真付きのカードを作ってくださったんです。その心づかいも、本当に嬉しかったです。
 突然の出血から始まり不安もありましたが、NICUのみなさんをはじめ、病院のスタッフの方々がとても力になってくださり、結果的にとても満足しています。

ー最後に、智子さんから同じように緊急帝王切開で赤ちゃんをご出産されたお母さまや小さく生まれた赤ちゃんのお母さまにメッセージをお願いします。

 私が3人の妊娠出産を通して感じたことは、ひとつの命を生み出すためにはそれ相応の覚悟が必要だということです。長女は妊娠中もまったく問題なく大きく健康に生まれ、成長も早く風邪ひとつひかない子ですが、それが当たり前ではないことを次女や長男が教えてくれました。
 長く生きられなくてもその体を選んで私たち家族の元に来てくれた次女を通して命の強さ尊さを改めて感じましたし、妊娠出産の神秘にも触れました。次女が亡くなったことはもちろん大きな悲しみでしたが、それ以上に次女がつないでくれた縁から学ぶことが多く、次女のおかげで家族は以前より幸せになれたと思います。
 そんな次女が連れて来てくれた悠馬も小さく生まれて不安は大きかったのですが、その日に生まれることを選んだのも、私たちにNICUの世界を知ってほしかったからなのかなと思っています。3人の子どもたちのおかげでいつも新しい世界との出会いがあり、その度に私たち家族は心豊かに幸せになっています。

photo_15.jpg

 お子さんがNICUに入って不安な日々を過ごしているお母さんやお父さんには、お子さんが選んだ誕生日とメッセージについてぜひ考えてみていただきたいと思います。普通に生まれた子どもたちより妊娠出産を通して家族に考えて欲しいことがあるのかもしれません。きっと、命が生まれるという、"奇跡の軌跡"を感じてほしいのではないでしょうか。

photo_16.jpg

* シンフォニー...シンフォニー電動さく乳器。病院・産院用。
* スイング...スイング電動さく乳器。家庭用。